Pomme Grenade

Mon dessin numéro 1. Il était comme ça:

人を怒れない

私は人を怒れない。

 

たしかにムカつくことは本当にたくさんある。むしろ短気な方だ。

 

この間なんて乗った井の頭線がとても混んでいて、私のお尻に男性のあれを押し付けられ、抵抗出来ない状態で性的に搾取されたことに対して心から憤慨した。

 

細かいことで言えば、さっき箪笥の角に小指をぶつけてムカついたし、

 

あなた、出っ歯だね!笑って言われるのに対しても嫌なにいってんのウザ!!と心から怒った。(表には出さなかったが)

 

しかし、しかしだ。

ここ最近、人を叱責したり、大声をだして感情を表現したりといったことをしていない。

 

自己主張が苦手なタイプではないのだ。

 

むしろ色々な人を巻き込んでいけるようなタイプだと思っていたのだが。

 

私はこの現象を以下のように分析していた。

 

それは、「人に嫌われたくないから」、というものである。

痴漢に対しては時間がなくて対処のしようがなかったという例外的なものであるが、その他身の回りの事象に関しては「嫌われたくないから」という負のインセンティブが働いているように思う。

 

一方踏み込んで「そう言うこと言うのはやめたほうがいい。」と言ってしまうと「うわ、興醒めするわ!」とか「意識高え〜!」とか思われそうで人に過剰に干渉するのがとても怖い。

 

おそらくこれは、自分が他人に対してレッテル貼り貼り人間だからこそ起こってしまう現象なのである。「この人はこういう人だから。」という一言で片付けて、その人が変わる事を期待せず、また自分に対して向けられているレッテルや期待を壊したくないというがんじからめの状態から、人に怒れないというのに繋がっているのである。

 

よく、「みんなに優しくする人は結局誰にも優しくしていない」というのを聞く。

 

選ばないということは選んでもらえないということであり、選ぶということは「選ばなかった人」を産む代わりに「選んだ人」との信頼関係を育むことができるのだ。

 

私は非常に孤独である。

いつか誰かに期待して怒ったり、選んだり出来るのだろうか。

 

変わる事は果たして正解なのか。